かねてより死ぬまでに現存十二天守を全部回りたいと言っていました。
去年、名護屋城に行って以来、城めぐりができておらず、最後に現存天守を見に行ったのは松本城でしたね。現存十二天守とそれ以外の天守との違いは「お城の「天守閣」の復元天守、復興天守、模擬天守の違いとは」をご覧ください。
今回、帰省のついでに丸亀へ遊びにいくことにしました。善通寺に行くまでの行程は以下のエントリをごらんください。
移動だけで疲れてしまったので丸亀に到着したあとはすぐに寝てしまいました。2日目朝、ホテルでモーニングを食べたあと、一服して丸亀城に向かいました。
丸亀城
丸亀城の構造は、渦郭式になっています。本丸を中心にして二の丸、三の丸をぐるぐる渦巻き状に配置しています。
大手ニの門・一の門から丸亀城に入り、見返り坂を通って、三の丸、二の丸、本丸、天守とぐるぐる登っていく必要があります。
丸亀城は平山城に分類されるのですが、実際に登ってきた感覚としてはまったく平山ではないというところでしょうか。夏の天気の良い日に訪問したのもあって着ていたTシャツが絞れるくらい汗をかいてしまいました。
丸亀城外観
裁判所、労働基準監督署の方から撮影しました。
正直な所、丸亀城は現存天守のなかでも小ぶりな天守で写真を見てもイマイチすごさが伝わってきません。
同じ現存天守で比べるのであれば、松本城や姫路城のような一見して分かる美しさはありません。現地に行って初めて分かったんだけど亀山を覆う石垣も込みで、平地から見ると他に及ばない迫力があります(僕の写真ではあまり迫力が伝わらないと思う)。
その旨をTwitterに書いたところ、こんなコメントをいただきました。
丸亀城は、巨大な石垣を何重にも身にまとい全身を甲冑で固めたかのような厳めしい姿の丘のてっぺんに、ちょこんと品のいい天守が腰掛けてる様子がすごくよろしいのです。 https://t.co/k0yW6RQ05b
— ふぅむ (@hu_muan) 2017年8月4日
大手二の門
いくつかルートがあるようなのですが遺構を見て回れる大手二の門から入城することにしました。城内側の櫓門を「一の門」、堀側の高麗門を「ニの門」と呼びます。1670年(寛文10年)、京極氏の時代に完成した現存遺構のひとつです。
帰りに撮影した内側からの写真。
大手一の門
左:一の門、右:二の門。一の門は、楼上に太鼓を置いて定刻に鳴らしたことから太鼓門とも呼ばれています。昭和32年に重要文化財に指定されています。
帰りに撮影した内側からの写真。
見返り坂
先に書いたように丸亀城は渦郭式平山城なのでぐるぐると登山していかないと天守を間近でみることができません。
大手門から山上に向かう山道は「見返り坂」と呼ばれています。城内観光案内所の右側が見返り坂で、この坂を登ると三の丸にたどり着きます。
天守に向かう前に観光案内所に行くと、丸亀城の見どころを教えてくれます。
(写真では伝わらない)急な坂を汗を流しながら登った中間地点です。中間地点から観光案内所の方を撮影しました。
中間地点から三の丸方面への坂はまだまだ続きます。
扇の石垣
見返り坂の中間地点からは三の丸北側の石垣を見ることができます。
丸亀城の石垣のなかでも一番高く20m以上の城壁となっています。算木積みされた石垣の曲線が美しく「扇の勾配」と呼ばれています。
三の丸
麻布にあった京極家の別宅を、丸亀城内へ移築したもののようです。旧大名家の家にしてはとても質素が作りなのに驚きます。
絡み手口です。
三の丸井戸です。
空井戸なので城外に逃げ出す抜け穴があるという伝説があります。山﨑氏時代の絵図にも描かれています。
三の丸から本丸方面を撮影しました。
本丸までまだまだ登る必要がありそうです。
吉井勇の歌碑があります。吉井勇は、大正昭和期の歌人で伯爵だった人です。妻がスキャンダルを起こし高知へ隠遁。昭和10年に招かれて丸亀城に来た際に柿本人麿の歌を思い起こし歌ったとされています。
戌亥櫓跡。明治2年の藩邸火災のときに消失してしまいました。火災で焼けた跡が今でも残っています。
二の丸
二ノ丸絡手口です。天守を正面から眺めることができます。
絡手口は階段になっています。
登ってる。
二の丸からの景色です。遠くに昨日行った丸亀港や瀬戸内海を一望することができます。
二の丸井戸。現在も水が湧き出ているみたいです。深さは65mにもなるようです。築城の際に「そこの方から横穴掘って抜けられる」とか言った技師が上から石を落とされ命を落としたという伝説があるようです。
二の丸から本丸の坂はそこまで高くありません。
本丸
天守から見た本丸です。かつては隅櫓(すみやぐら)、渡櫓(わたりやぐら)、土塀が石垣上に巡っていたようです。
丸亀城天守。昭和18年に重要文化財に指定されています。3層3階になっています。
高さは15mもあり、1階の北側には石落としや狭間があります。この天守は四国で一番古くて、1660年(万治3年)に完成した日本一小さい現存木造天守です。
側面からの見た目は重要視されていないのかやや質素です。ひょっとするとここに渡櫓があって繋がっていた部分なのかな?
石落としは、受付の裏側にあります。
天守の最上層階から見た景色。猛暑日だったけど風が入って来てとても涼しかったです。
最上層階から降りて来たときの階段がものすごく急ですごい怖かった。
まとめ
丸亀城の圧倒的存在感よ……
他にも四国の城に行った時のレビューを書いています。併せてどうぞ。
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この他にも城郭・城址について書いています。まとめておりますのでこちらのページをご参照ください。よろしくお願いします。