三連休だしどこかに行くかーってことで唐突に常陸多賀に行くことが決まりました。
明日水戸に行くことが今決まった
— さくさん (@ch3cooh) 2016年3月18日
事前に予定を決めていたわけではないので、適当な宿を楽天トラベルで探しまくりました。
僕1人ならなんとでもなるんだけど嫁と2人で泊まるとなるとちょっと話が違うのです。この辺りは妻帯者の人なら理解してもらえるかと……
最初に見つけたのはロープウェイを使って山頂に行くタイプの奥多摩の山荘でしたが、冬季はロープウェイが運休になるみたいで車がないと行けないようでした。足がないのでここはNG。
次に見つけたのが常陸多賀のホテルでした。東京からだと水戸は近いし去年の夏に1度行っているのでどこを回るのかをあらかじめ考えなくて良いしで、ここでいいやーとなりました。予約done.
東京駅
近いのでのんびりスタートです。大体8時40分くらいに家を出ました。
東京駅に着いたので常磐線のホームに向かうものの2列空いている座席がなく、目の前の特急ひたちには乗れませんでした。
仕方がないので30分後の特急ときわに乗ろうとするのですが、同じく2列並んで空いているところはなかったので諦めて通路挟んで隣同士を取ることに。
時間ができたのでミックスジュースでも飲もうとメロンジュースを頼みましたがこれは失敗。
氷と水とを入れすぎのせいか薄すまりすぎて、メロンの味がかすかにする程度で途中でギブアップしました。
少し待つと特急ときわがホームに来ました。東京駅の時点で人は多かったのですが上野に着いた段階で車両間の廊下で立ち乗りしてた人がたくさんいました。三連休の初日ということもあってか車内は全席満席だったようで、さっきの特急ひたちに自由席を期待して飛び乗らなくてよかった。30分待ってでも指定席を確保していて正解でした。危なかった。
「車内販売の缶ビールとツマミを飲むぞ!」なんて意気込んでいましたが、特急ときわには車内販売がないらしく不貞寝しました。寝て起きたら水戸に着いていました。
この時点でちょうど12時くらいでした。
in 水戸
お昼時だったので「てんまさ」に行きました。行ったことのある人には分かってもらえるかと思うのですが駅前のローソンの地下にあってとても入りにくい。
http://tabelog.com/ibaraki/A0801/A080101/8000668/tabelog.com
地下に入るのに抵抗がある上に、昼間でも少し薄暗い……。昭和な雰囲気の入り口……。和泉大宮駅*1の近くのお店の雰囲気です。
前回、水戸に来た時は1人だったので入るのに躊躇していました。今回は納豆が食べたい!という強い意志が(嫁に)あったので普通に入りました。
ちなみに店内は普通の飲食店です。お昼からあんこう鍋を食べながらビールを飲んでいる家族が何組かいました。羨ましい……
僕は刺身定食(1,000円)を頂きました。なお、予想に反して納豆は入っていなかった模様。
納豆コース(1,500円)は納豆尽くしの定食です。天ぷらの中にまで納豆が入ってます。てんまさに初めていくならオススメの定食です。
あんこう鍋のコースも3,500円で食べられるらしく、水戸に行くと名前を聞く有名店のわりにリーズナブルなようです。今回は残念ながら時間的に食べられませんでしたが、年中あんこう料理を提供しているので次回水戸に行った時には挑戦してみます。
水戸東照宮
前回は、二ノ丸から一の丸に向かって歩いていって弘道館の中に入って、そのあと水戸駅に戻った時点で日が暮れちゃって辺りが真っ暗になっていたので水戸東照宮には行けなかったんですよね。
入り口です。右側が東照宮への階段になっています。左の商店街は寂れていましたが飲屋街みたいな感じでした。土曜日なのに誰もいませんでした。観光客はみんな大洗の方に流れてしまったのでしょうか……
社殿にはトドーンと徳川葵です。水戸初代藩主の徳川頼房*2が父の徳川家康(東照大権現)を祀るために作られた神社です。
水戸東照宮には徳川斉昭が考案した日本最古の戦車が祀られています。
牛か馬に引かせるのだと思うけどもっとチャリオットみたいに俊敏な動きができるものだと想像していました……。チャリオットの登場は紀元前2000年です。絵に描くとだいたいこんな感じ。
徳川斉昭が考案した戦車は絵に描くとだいたいこんな感じ。中国ではこの手の戦車が春秋時代にはすでに登場していたというので時代を考えるとかなり遅い登場ですね。
鉄砲が伝来した戦国時代に戦車が生まれなかったのは、大陸と違って日本には平地がないのでこの手の戦車の運用が困難なのが流行らなかった理由だと思います。これも実戦では使用されませんでした。
幕末に諸外国が「カイコクしなさーい」と続々と日本に現れている状況でした。諸外国に国内を乗っ取られると攘夷思想が強かった水戸藩では、なんとかしないといけないと徳川斉昭が編み出したのがこの戦車のようです。
海からやってくる異国船を打ち払うため作られたのが十八封度(ポンド)カノン砲です。これは大洗にある会社の会長が、川口市の増幸産業株式会社の鋳造師に依頼して作られた復元品です。
さっきも書いたように攘夷思想が強かったため、1826年に鋳造技術を持っていた増田安次郎(2代目)が水戸藩招かれてました。増田安次郎が鋳造した大砲は全部で74門あり、うち1門は常磐神社に現存しています。
ちなみに増田安次郎の「増田屋」は「増幸産業株式会社」に名前を変えて現代に続いています。
宮下から。名前の通り東照宮は丘の上に建っていて見晴らしの良い場所にあります。東照宮に行くためには急な階段を上らないといけません。
長くなったので後編に続きます。
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水戸にはよく行っている気がします。