岸和田城(きしわだじょう)は、大阪府岸和田市岸城町9-1にある城(2007年4月6日撮影)。
再訪した際に撮影(2015年8月15日撮影)。夏で木が生い茂っていて天守が見えなくなっています。
「岸和田」の由来
南北朝時代の武将、和田高家(にぎた たかいえ)*1が、「岸」と呼ばれていた地域に岸和田古城を築きました。「岸の和田」から転じて「岸和田」と呼ばれるようになったという説が有力です。
岸和田古城
岸和田古城は、岸和田駅の東側の野田町にあったと言われています。現存する遺構はありませんが、発掘調査によって当時のものが出てきているそうです。
岸和田古城は、現在の岸和田城から東へ五百メートル離れた現 野田町一丁目の「古城」と呼ばれてきた地に十六世紀初め頃まで存続したと考えられています。
岸和田を納めてきたのは、和田氏、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏、最終的に岡部氏が入封して幕末を迎えます。信濃氏が治めている時代、信濃泰義によって岸和田城は現在の位置に移し、それ以降前述した統治者によって増改築されてきました。
岸和田城
岸和田城の縄張りは広く、岸和田駅の東(山手側)も含みます。浜から岸和田駅を少し超えたところまでの塔原線(大阪府道39号)は元々岸和田城の外堀にあたります。
正保城絵図の和泉国岸和田城図を見ると、二の丸西側と町家の間にある水堀を埋め立てて旧26号線(大阪府道204号)を作ったのが分かります。
Googleマップと比較すると当時の測量がかなり正確であったことをうかがうことができます。
本丸
本丸から虎口へ入る多聞櫓。
(復興)天守と小天守です。
天守の最上階から庭の方を見ると「八陣ノ庭」があります。これは諸葛亮孔明の八陣法をテーマにして作庭されたものです。
本丸を背面から見ると、犬走り(いぬばしり)があるのがわかりますね。犬走は堀と石垣の間にある平地のことです。犬走が有名なのは彦根城でしょうか。犬走りがあるのは石垣が崩れるのを防ぐ役割があるためです。
岸和田城の石垣には泉州砂岩が使われていました。これは脆くて平成11年の豪雨で崩れてしまいました。石垣の色がまだらになっているのは、改修工事の際に元の岩と違うものを使ったからですね。より強度のある花崗岩で補修されました。
二の丸
昔は二の丸では猿が飼われていて、トタンで作った小屋でお茶やお菓子が買えました。僕が高校生頃までは残っていた記憶があるのですが、2015年に訪問した時には猿小屋や古いお茶屋さんは消えていました。
所在地
大阪府岸和田市岸城町9-1
更新履歴
- 2015/8/19 岸和田城を訪問。由来についてや写真を追加。
- 2013/8/11 新規作成
参考
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*1:楠木正季の三男