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酢ろぐ!

カレーが嫌いなスマートフォンアプリプログラマのブログ。

和田をなぞる - とある和田家の家系図

雑記

こんばんは、第八のわだ、和田です。

このエントリーは、Wadavent Calendarの8日目の記事です。

「Wadavent Calendarはどう考えてもネタ枠やろ……」と思って、遠くから見ているだけで済ませようと考えていました。

そんな風に思っていた矢先、masawada氏の父上(id:wabysprg)が和田家のルーツについて触れているのを見かけました。

和田という苗字自体が、農耕民族からすると田んぼを連想させる漢字で各地に偶然多発的に生まれています。その語源は様々だったりもするのですが……

和田さんで一番の有名どころといえば鎌倉の和田さんでしょう。和田さんの分布については後述したいと思います。

このエントリでは、鎌倉御家人の和田さんや信濃方面の和田さんではなく、日向方面の和田のルーツを紹介したいと思います。急遽エントリしたもので慌てて書いたので乱文失礼します。

自己紹介

僕はネット上では主に「さくさん」を名乗っています。「なんで酢酸なのか?」とよく聞かれます。これは色々と経緯があって毎回説明してるんですけれど、僕の名前をつける時に父が候補として挙げていたのが「作太郎」です。

僕が中高生の頃、インターネット普及期でITバブルに沸く時代でした。僕も他の人たちと同じようにネット上に黒歴史を構築していました。その時に付けていたハンドルネームが「さくたろう」です。若干名前が長いので仲の良い人からは「さくさん」と呼ばれていました。

とある日、同じ職場で働く同僚を勉強会に連れて行くことになったのですが、黒歴史がバレてしまう!!と焦った僕はハンドルネームを変えることを決意します。さくさんをもじり「酢酸」から「CH3COOH」と変えて、現在に至ります。

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実名で本を書いていたりもするので、この時のハンドルネームの変更はあんまり意味がなかったのですが……まぁ、自己紹介はこれくらいにしておきましょう。

和田の分布

Wadavent Calendarということなので、和田について書きましょう。

和田義盛に由来する和田さん

初日に id:kamawada さんが書かれていましたが、ゆーすけべーさんは「和田義盛」にまつわる鎌倉の出身のようです。

和田義盛は、三浦氏の支流で和田義盛は、相模国三浦郡和田(神奈川県三浦市)または安房国和田御厨(千葉県南部)に所領があったことから和田を名乗った武将です。鎌倉幕府とのいざこざで挙兵し、その結果和田一族は討死してしまいます。

8日目に id:wabysprg さんも和田家のルーツの話をされていました。和田村(おそらく現・長野県小県郡長和町)に由来する和田さんとのこと。和田村は前述した幕府との合戦のなか滅亡の危機にあたり逃げ隠れた人間の名前がその由来だそうです。

……と、距離的に結構離れてはいるのですが「和田義盛」にまつわる苗字です。

他の由来を持つ和田さん

「和田」というのは田に関連した言葉というのもあり全国的に分布しています。

他にも「和田」は、わた(海のこと)に由来していた*1とか、にぎた(和田)氏*2に由来しているとかなんとか。

由来が複数あるのは広い日本の土地に「和田を称する地名」が複数あることを示し、同じ和田だからと言って同じ祖先を持っているかというと違うわけですね

戦後、全国へ和田さんが広がる

江戸時代に人材の流出(移動)が多少あったにせよ、基本的には「○○」という名字の人間は根拠地周辺に集まっていました。

もっとも、第二次世界大戦後に徴兵制が解除されると国に縛られることなく自由に引っ越しができるようになりました。

戦後の復興とその後の高度成長期には慢性的な人手不足となり、日本全国…特に都市部での働き手の需要が増えていた時期で、土地の相続権を持たない次男三男坊が出稼ぎにでました。数年が経ちそのまま都市部に定着したのがほとんどではないでしょうか。

和田さんも他の家と同じように全国的に広がっていきます。

僕の所属している「和田」の血統は、宮崎県東臼杵郡がルーツなようです。祖父の代に宮崎県を出て大阪に移り住んだようです。ちなみに宮崎県東臼杵郡はここです。話に聞いたことも土地勘もないのでいまいちピンと来ません。

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むしろ九州に行ったこと自体が人生で3回くらいしかありません。

左側に人吉が見えますね。前職の同僚が人吉出身だったのを思い出しました。近いのでしょうか。

和田家の系譜

さて、僕の名乗っている「和田」はどういう系譜なのでしょうか。家系図を追いかけてみたいと思います。

先に断っておきますが。先祖に有名な武将がいたり近代に入ってから地元に名士がいたりということはありません。農家か建築業だと思います。おそらく後者のような気がします。なんとなく。

戸籍・除籍謄本を遡って調べてみた

戸籍制度については機会があればまとめたいと思いますが、戸籍というのは徴兵と徴税のために670年ごろからある家単位でまとめた記録です。……とは言っても当時は日本が小国に分裂していた時代で、日本国内で今のフォーマットの戸籍ができるのは明治まで待つことになります。明治頃の戸籍謄本は家督の継承を中心とした家制度を記載したものなので、何年何月何日に家督を継いだということが書かれていますが、女子は他家に嫁いでいくので記録を辿るのが難しいです。

女系は追い切れないので、男系だけに絞って戸籍謄本・除籍謄本を取り寄せました。謄本の取り寄せはこのエントリのためにしたわけではなくて、このエントリを書いている最中に取り寄せしていました。ひとりずつ遡っていったので半年以上かけています*3

取り寄せた戸籍謄本・除籍謄本を元にしてPowerPointで図を起こしたものです。基本的な家系図の書き方に合わせていますが、関係者が多い*4ので女子は除いて、右から長男左に末っ子の順に配置しています。直線が実子、二重線が養子です。太文字が嫡男(家督の継承者)です。

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父は他界していて、既に先祖について聞くことができないので、戸籍・除籍謄本を元にした推測をまとめていきます。

僕の高祖父の祖父にあたる和田半太郎は実子・和田良吉がいたものの体が弱く、半太郎の実子で僕の高祖父の父にあたる和田良吉もその血を継いでいたのか体が弱くて、子供が作れなかったようです。

この時代は、「血縁」よりも「家」の維持の方が重視されていた時代でもあったので、経緯はよくわかりませんが金丸國太郎と和田半太郎の妹・和田エツの子・金丸茂太郎を養子に迎えます。金丸家とは強い縁戚関係にあったようで、和田良吉の妻ユキは、金丸禮蔵の子にあたります。

金丸姓について

名字ランキングというサイトがあります。データソースが明記されていないのでそのまま鵜呑みにはできないのですが、宮崎県東臼杵郡門川町の名字として多いのが2位が「金丸」、15位が「和田」です。ちなみに8位の「長友」も和田家の遠縁にあたります。

namaeranking.com

この金丸氏は日向国(現・宮崎県)の領主日向伊東氏の家臣でもあります。

戦国時代、伊東氏は島津氏との戦い続けて勢力を増していきますが、島津義弘の勢いには及ばず徐々に衰退していきます。秀吉の九州征伐に貢献したことで大名に復帰、関ヶ原でも東軍につき、明治維新後に子爵となります。日清戦争時の元帥・伊東祐亨は伊東氏の嫡流でもあります。

伊東氏の領地が安堵されたことで、平和な江戸時代に家臣である金丸氏も長期間家を存続させることができたため、その支流を宮崎県内に点在させることができたのではないかと思います。もちろん本家筋から離れた金丸氏の傍流は武家ではなく帰農して、それぞれの土地に土着していたことは想像できます。

金丸國太郎・金丸禮蔵氏らが本家からどれだけ遠いのかはわかりませんが、養子縁組の相手としては妥当だったんじゃないかと思います。

大正時代以降の和田家

さて、話を戻しましょう。和田茂太郎を養子に迎えた年に和田半太郎が亡くなります。その10年後に和田良吉が隠居し、茂太郎が家督を相続します。その時、茂太郎には既に4人の息子がいたので後継者問題は起こらなかったでしょう。長男・和田良八が家督を継いでいきます。

和田茂太郎の三男で、僕の祖父の和田正信がいつどのタイミングで大阪に来たのかはわかりません。僕の父が大阪で生まれていることから昭和前半には大阪で住んでいたようです。祖父は僕の父が小学校の時期に亡くなっているので、祖父の話は「明治時代の生まれにしては身長が180cmを超えていて大きかった」くらいしか話に聞いたことがありません。

昔、祖父の家(父の実家)に行ったときに母屋の隣に大きな工場があったのを覚えています。三男ということもあり宮崎の地では土地を相続できないのでなにかのタイミングで大阪に出てきて町工場を営んでいたと思います。

まとめ

このエントリのまとめとしては、(興味がなくても良いんだけど)父や祖父が存命なうちに自分の家をことを聞いておくことをオススメします。亡くなってからだと何も聞くことができなくなります。

宮崎県には今でも和田さんがたくさん住んでいるみたいなのでいつか行ってみたいですね。

*1:海の神様のことをわだつみって言うでしょう

*2:漢字で書くと和田。和泉国大鳥群の領主

*3:本籍地の変更が少ない家系だったのでこれでも楽な方だと思います。もっと効率的に作業すれば半年もかけずに明治時代まで遡れる気がします。ただ東京や都心部に籍を置いていた家は空襲で焼かれていて記録が残っていない可能性があります

*4:戦後の家は子沢山やな…