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戦国時代から現代に続く名家・毛利氏

毛利氏といえば毛利元就とその子供たちの毛利隆元(と孫の毛利輝元)・小早川隆景・吉川元春による「毛利両川」の時代に最も版図を広げ中国の覇者となりました。

NHKその時歴史が動いた傑作DVDマガジン戦国時代編 Vol.10 毛利元就・輝元 (講談社 MOOK)

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しかし、織田信長の破竹の勢いにはなすすべく、中国方面軍の羽柴秀吉によって旗色を伺っていた国人衆が内応し、毛利家の所領は少しずつ切り取られていました。天正10年、備中高松城を挟み羽柴軍と毛利軍がにらみ合いを続けるさなか、本能寺の変が起こると羽柴秀吉が急遽方向転換して、備中高松城の開城と清水宗治の切腹をもって毛利家と和睦して中国大返しを実行します。

その後、織田家家内の政戦によって羽柴秀吉が実権を握ると「惣無事令」の旗のもと各地に大軍を送り込み、各地の大名を臣従させ豊臣政権を確立させると、毛利両川もそれらの戦いに従軍して秀吉の信用を得て、豊臣政権下での五大老と呼ばれる地位まで登りつめます。

豊臣秀吉が死去して前田利家も続いて死去すると、五大老首席となった徳川家康が台頭します。徳川家康の台頭を良しとしない五奉行・石田三成は毛利輝元を西軍の大将に担ぎ上げて関ヶ原の戦いに挑みますが東軍の勝利で終わります。元々、厭戦感が強かった毛利輝元は、主戦派の毛利秀元らを退け、所領の安堵を約束されて大坂城を開城します。

一旦は所領の安堵を約束されていた毛利家でしたが、戦後西軍に関与する書状がたくさん出てきてしまったために改易される寸前でした。吉川広家の弁解もあって周防・長門の減封となり、その後幕末まで長州藩として続きます。

長州藩は幕末期の討幕運動で中心的な存在となり、明治維新後の藩閥政府では「長州閥」として数々の政治家を中央に送り込むこととなります。

名前 生没 備考
- 大江広元(おおえ の ひろもと) 1148年〜1225年7月16日 実父(養父)共に不明。源頼朝の側近。
1 毛利季光(もうり すえみつ) 1202年〜1247年7月8日 大江広元の四男。鎌倉幕府の御家人。
2 毛利経光(もうり つねみつ) - 毛利季光の四男。
3 毛利時親(もうり ときちか) 〜1341年 毛利経光の四男。                    
4 毛利元春(もうり もとはる) 1323年〜 毛利親衡の嫡男、毛利時親の曾孫。            
5 毛利広房(もうり ひろふさ) 1347年〜1385年                        
6 毛利光房(もうり みつふさ) 1386年〜1436年 毛利広房の長男。                   
7 毛利煕元(もうり ひろもと) 〜1464年3月12日 毛利光房の長男。                   
8 毛利豊元(もうり ひろもと) 1444年〜1476年6月19日 毛利煕元の長男。                  
9 毛利弘元(もうり ひろもと) 1466年〜1506年2月13日 毛利豊元の長男。
10 毛利興元(もうり おきもと) 1492年〜1516年9月21日 毛利弘元の長男。
11 毛利幸松丸(もうり こうまつまる) 1515年〜1523年8月25日 毛利興元の長男。
12 毛利元就(もうり もとなり) 1497年4月16日〜1571年7月6日 毛利弘元の次男。
13 毛利隆元(もうり たかもと) 1523年〜1563年9月18日 毛利元就の長男。
14 毛利輝元(もうり てるもと) 1553年2月4日〜1625年6月2日 毛利隆元の長男。
15 毛利秀就(もうり ひでなり) 1595年11月19日〜1651年2月24日 毛利輝元の長男。長州藩の初代藩主。
16 毛利綱広(もうり つなひろ) 1639年12月14日〜1689年6月4日 毛利秀就の四男。長州藩の第2代藩主
17 毛利吉就(もうり よしなり) 1668年3月3日〜1694年3月2日 毛利綱広の長男。長州藩の第3代藩主。
18 毛利吉広(もうり よしひろ) 1673年2月28日〜1707年11月6日 毛利綱広の次男、毛利吉就の養嗣子。長州藩の第4代藩主。
19 毛利吉元(もうり よしもと) 1677年9月20日〜1731年10月13日 毛利綱元の長男、毛利吉広の養子。長州藩の第5代藩主。
20 毛利宗広(もうり むねひろ) 1717年8月12日〜1751年3月1日 毛利吉元の五男。長州藩の第6代藩主。
21 毛利重就(もうり しげなり) 1725年10月15日〜1789年11月23日 毛利吉元の五男。長門長府藩の第8代藩主、のち長州藩の第7代藩主。
22 毛利治親(もうり はるちか) 1754年8月3日〜1791年7月12日 毛利重就の四男(嫡出子)。長州藩の第8代藩主。
23 毛利斉房(もうり なりふさ) 1782年12月24日〜1809年3月29日 毛利治親の長男。長州藩の第9代藩主。
24 毛利斉熙(もうり なりひろ) 毛利治親の次男、毛利治親の養子(実弟)。長州藩の第10代藩主。
25 毛利斉元(もうり なりもと) 毛利親著の長男、毛利斉熙の養子。長州藩の第11代藩主。
26 毛利斉広(もうり なりひろ) 毛利斉熙の次男、毛利斉元の養嗣子。長州藩の第12代藩主。
27 毛利敬親(もうり たかちか) 福原房昌(毛利斉元)の長男、毛利斉広の養子。長州藩の第13代藩主。
28 毛利元徳(もうり もとのり) 1839年10月28日〜1896年12月23日 毛利広鎮の長男、毛利敬親の養子。長州藩の第14代藩主、のち公爵。
29 毛利元昭(もうり もとあきら) 1865年3月4日〜1938年9月24日 毛利元徳の長男。公爵。
30 毛利元道(もうり もとみち) 1903年6月8日〜1976年1月23日 毛利元昭の長男。公爵。
31 毛利元敬(もうり もとたか) 1930年11月23日〜 毛利元道の長男。現毛利宗家当主。妻・直子は荻野晴一12女。
(32) 毛利元栄(もうり もとひで) 1967年12月3日〜 毛利元敬の長男。 *1*2

毛利家の旧邸や家宝などを管理している「公益財団法人 毛利報公会」の会長である毛利元敦(もうり もとあつ)氏は毛利元道の子(四男・妻はさより) *3

毛利元敦氏毛利本家の元当主と書かれている記事が

高野山の毛利家墓所。

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更新履歴

  • 2017/06/01
  • 2015/06/13 毛利元栄氏の読みが判明したので修正、もとはる→もとひで。毛利元敬氏と毛利元栄氏の誕生日がわかったので追記。
  • 2015/06/10 新規作成

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