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酢ろぐ!

カレーが嫌いなスマートフォンアプリプログラマのブログ。

千歳烏山駅周辺の昔の写真の場所を探して現在どうなっているか調べてみた - 新旧写真比べ

夏休みの自由研究第二弾です。千歳烏山の地名の由来などに関しては第一弾の「千歳烏山の地名の由来と幕末明治大正期の家並図を調べてみた - 酢ろぐ!」をご覧ください。

前回は現在と過去の比較が面白かったので、今回は千歳烏山駅周辺の写真の新旧を見比べてみましょう。

引用元は、昭和56年3月に発行された世田谷区民族調査団編集の「烏山 - 甲州街道間の宿の民俗」と、かんき出版の「昭和30年代・40年代の世田谷」になります。これらの書籍から写真をピックアップして、同じ位置から写真を撮ってきました。

千歳烏山駅 駅舎

大正2年に千歳村の大字烏山より「烏山駅」として開業。その後昭和4年に「千歳烏山駅」に改称されました。

千歳烏山駅は昭和30年代、2面4線の退避駅で、朝夕の時間帯には新宿-千歳烏山の区間電車も運転されていました。

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次に「開かずの踏切」です。2007年に開かずの踏切を解決するために実証実験をしたので有名になったようです。

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京王電鉄は、2022年を目途に高架と地下トンネルの複々線にする予定であることを発表しており、この踏切の景色も10年後には無くなっていることでしょう。(日本経済新聞 - 京王線「開かずの踏切」改善 笹塚―仙川を高架化より)

笹塚―仙川間の25カ所の踏切はすべて、朝のラッシュ時1時間に40分以上遮断機が下りたままの「開かずの踏切」だ。例えば代田橋駅の近くの井ノ頭通りの踏切は最も長い時で270メートルの踏切待ち渋滞が発生している。 高架化でこうした渋滞や踏切事故がなくなるほか、緊急車両の通行もスムーズになる。都の幹部は「道路を地下に潜らすなどするのに比べ線路を高架化した方が効率的」と語る。 高架化後、京王電鉄は笹塚―つつじケ丘に地下トンネルを掘って複々線化し、輸送力を上げる。多摩地区から都心へのアクセスが向上する。現在の同区間の運行本数は上下合わせて1日約800本。同社は「ダイヤ編成などによるため現時点では何割増えるかは分からない」としている。

千歳烏山駅沿線を仙川方面から

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千歳烏山駅入口

千歳烏山駅入口の交差点周辺です。ここを曲がると区民センター横を通り、千歳烏山駅に辿りつきます。

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次に昭和35年代の千歳烏山入口です。

旧甲州街道沿いの交番辺りから撮影した写真のようです。写真手前に移っている自転車の後ろ部分は警察官が乗る自転車っぽいです。昭和35年といえば僕の親世代がちょうど真ん中の男の子の年齢の頃でしょうか。

人と車が行きかう甲州街道(当時)といえども、道は整備されていないように見えます。

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もう一枚の写真を見てください。先ほど掲載していた写真より右側(調布側)に視点を移動させた写真です。昭和35年には既に池田快生堂薬局があります。

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これら昭和35年に撮影された写真を2枚見比べると、旧甲州街道から千歳烏山駅へ向かう道幅が広いのが分かります。烏山小学校の移動時か区民センター設立時に道幅を広げるために、角のたばこ屋やせんべい屋の土地を区が買い取ったのだと思われます。

千歳烏山駅 南口

烏山神社氏子集会所。かつては烏山神社に合祀された天神社がありました。

なんで駅を出てすぐのところに民家があるんだろうと思っていた方、結構いたのではないでしょうか。

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烏山神社

烏山神社境内にある志村稲荷。

烏山神社が作られた年代は不明ですが、江戸時代には烏山村の鎮守社で、昭和7年に社名を白山神社から白山御嶽神社へ改称、昭和37に町内の天神社・神明社・志村稲荷社社を合祀したといわれています。

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松葉通り入口

松葉通りは、世田谷区南烏山から杉並区境の久我山病院横までの道のことです。

松葉通り入口の交差点がある辺りは、現在バーミアンが1階部分に入っているマンションが建っていますが、昭和50年代には文化用品(生活用品)と居酒屋があったようです。

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