酢ろぐ!

カレーが嫌いなスマートフォンアプリプログラマのブログ。

深大寺ゆかりの武将:難波田広宗(なんばだ ひろむね)

難波田 広宗(なんばだ ひろむね?)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。

生涯

扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎけ)家臣である太田道灌(おおた どうかん)が1457年(長禄元年)に江戸城を築城したが、1524年(大永4年)には扇谷上杉氏を破った後北条氏の北条氏綱(ほうじょううじつな)の支配下に入る。

1537年(天文6年)4月、扇谷上杉氏の上杉朝定(うえすぎ ともさだ))は、江戸城奪還のため、そして後北条勢を多摩川で食い止めるために難波田広宗を深大寺城に入れて増築させた。籠城は少数の兵士で大数の兵士と戦うのに最適な戦法である。

深大寺城は見晴らしの良い山の上にあって待ち構えるのには絶好の地形だ。

後北条氏は、深大寺城の付城として、北條綱種(ほうじょう つなたか)に牟礼砦、高橋氏高(たかはし うじたか)に烏山砦を築城させた。

しかし、同年7月に氏綱は深大寺城を迂回し、直接朝定の居城である河越城を攻め落とし、深大寺城の軍事的価値は失われ、そのまま廃城になったとされる。

参考

関連記事

この他にも城郭・城址について書いています。まとめておりますのでこちらのページをご参照ください。よろしくお願いします。