酢ろぐ!

カレーが嫌いなスマートフォンアプリプログラマのブログ。

天正菱大判を所蔵している博物館を調べてみた

スイスのチューリヒで天正菱大判がオークションにかけられることがニュースになっていました。

www.swissinfo.ch

天正菱大判を説明する前に、まずは「天正」の説明から。

天正期にあったできごと

天正は日本の元号で、室町時代と安土桃山時代の境目あたりです。

天正10年の織田信長が明智光秀に謀反を起こされて横死した本能寺の変、羽柴秀吉が主君の仇打ちを成し遂げた山崎の戦い、天正11年の織田家内の主権争いによって起こった羽柴秀吉(with 信雄)と柴田勝家(with 信孝)による賤ヶ岳の戦い、天正12年の羽柴秀吉と旧同盟国の徳川家康 (with 信雄)による小牧・長久手の戦い

なかでも小牧・長久手の戦いでは最終的には戦略的に秀吉が勝利するんだけど、戦術的には徳川家康が勝っていたため、戦上手な家康を無下に扱うことができなくなります。これがのちの豊臣政権崩壊と徳川幕府の成立の遠因となるのですが、それは別の機会に。

この戦いで織田信長政権下で中心的な人物であった池田恒興・森長可が討死してしまいます。簒奪を目論む羽柴秀吉にとっては不幸中の幸いとも言えるのでしょうか。完全に織田家を掌握することができました。

羽柴秀吉が天下人に

天正14年に朝廷より秀吉は太政大臣に任じられ豊臣政権を確立します。朝廷より大義名分を与えられた秀吉は紀州征伐や四国征伐と次々に派兵して、畿内と周辺を押さえることに成功します。

天正15年には聚楽第を築き、徳川家康や織田信雄らを臣従させます。大友宗麟の救援依頼に対して介入したことから始まる九州征伐が発生します。仙石秀久が指揮を執り長宗我部信親らが討死したりと苦戦しますが、最終的には島津氏が降伏して島津義弘を臣従させたことで西日本の平定は完了しました。*1

政権の地盤固めのために天正菱大判を作らせる

そんなこんだで織田家の一家臣であった羽柴秀吉は天下人となります。秀吉は金鉱山を直轄地として、有り余る財力をもって天正16年に表題の「天正菱大判」を作り、忠誠を誓った有力大名に配ります。

後年の大判や小判のように天正菱大判は貨幣としては使われずに、贈り物として使われていたようです。

豊臣秀吉が贈答儀礼として製造させたといわれる、天正菱大判。天正16年(1588)に鋳造され、表に菱形の桐極印が打たれているため、こう呼ばれる金貨は美術品としても当時の技巧の高さをうかがわせる美しい作品だ。世界で存在が確認されているものはわずか6枚。その中の貴重な1枚がスイス・チューリヒで22日、オークションにかけられる。

天正菱大判は天正16年初鋳とされています。「天正十六」「天正十七」「天正十九」と墨書きされているものがあり、古銭蒐集業界でも特に価値があるものとされて1億円の価値があるようです*2

f:id:ch3cooh393:20150523100254j:plain

今回オークションに出品されているものは、天正16年製で後藤の花押が入っています。

 捨  天
 両  正
    十
    六
 後
 藤
(花押)

大判に書かれている「後藤」は後藤四郎兵衛家を指しています。後藤四郎兵衛家は、足利将軍家お抱えの彫金師の一族で、室町時代から明治元年までその時の幕府お抱え彫金師として活躍していたようです。

天正菱大判はどこに所蔵されているのか?

そんな骨董品としての由来と美術品としての価値のある天正菱大判ですが、記事上には世界で6点しかなくて、うち5点は博物館に所蔵されていると書かれています。

現在、これらの天正菱大判がどこに所蔵しているのか調べてみました。国内では3箇所しかわからなかったのですが、このうちのどこかが複数枚所蔵しているのかもしれないです。

東京国立博物館(東京)

天正十六と墨書きされている天正菱大判。

日本銀行 貨幣博物館(東京)

天正十六と墨書きされている天正菱大判。

造幣博物館(大阪)

天正十九と墨書きされている天正菱大判。

サムスンのプライベート博物館(韓国?)

2000年頃に韓国サムスンが購入して、プライベート博物館に入っているらしい。検索してもひっかからなかった……

*1:この時点では、東日本には北条家がいましたが、反豊臣派と親豊臣派で家中が分断していた

*2:画像はオークションサイトから引用。SIXBID.COM - Experts in numismatic Auctions