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酢ろぐ!

カレーが嫌いなスマートフォンアプリプログラマのブログ。

千歳烏山の地名の由来と幕末明治大正期の家並図を調べてみた

雑記 千歳烏山

春頃から進めていたプロジェクトが盆休み前に一区切りついたので、夏季休暇と言うことで9日間もお休みを頂くことができました。少し仕事もしていましたが:-)

夏休みの自由研究をしておかないとぬま先生に怒られると思ったので、ありがちなテーマですが「郷土」について調べようと思いました。

僕は「だんじり祭り」で有名な大阪府岸和田市の出身です。なので岸和田城についてアレコレ書いてみようと考えました。

紀州街道と並走している旧国道26号線の(普通に考えたら)変なカーブは堀跡だよねとか、昔の市民会館(もう取り壊しされたって聞いた)の裏手側の稲妻のようなカクカクした道など、古地図と現在の写真を並べて説明できれば面白いと思ったのですが、東京に住んでいると全く史料が手に入らず、このくらいしか書けることがありませんでした。

……ということで、自分と関連が深い東京都世田谷区の「千歳烏山駅の周辺」のことを書こうと思い、図書館などに出向いて調べてみました。

千歳烏山駅周辺とはどの辺りを含むのか

千歳烏山駅は、烏山地区にあります。

烏山(からすやま)地区は、東京都世田谷区の西北部に位置しています。世田谷区は、下記の5つの地域に分類されます。

  • 世田谷地域
  • 北沢地域
  • 玉川地域
  • 砧(きぬた)地域
  • 烏山地域

烏山地域に属している地区には、粕谷、上北沢、上祖師谷、北烏山、給田、八幡山、南烏山があります。このうち、北烏山1丁目~9丁目と南烏山1丁目~6丁目が烏山地区烏山と呼ばれています。

「千歳烏山」の由来

結論から書きますが、史料が存在していないため「烏山」のハッキリとした由来は分かりません。順に史料を追いかけていきたいと思います。

いつ頃から「烏山」と呼ばれるようになったのか?

「烏山」という地名が、史料に初めて出てくるのは鎌倉時代後期です。

臨済宗の中厳円月(ちゅうがんえんげつ)というお坊さんによって書かれた詩文集「東海一漚集(とうかいいちおうしゅう)」の「自歴譜」に、「武州烏山に帰る」という記載があります。武州(ぶしゅう)とは武蔵国の略称で、武蔵国は現在の東京都・埼玉県にあたる国です。

その後、烏山の名前が史料に出てくるのは戦国時代になります。

高橋家系図記録(?)の「烏山高橋系図」によると、天文4年(1535年)に後北条氏家臣の高橋民部大輔氏高が、扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)氏家臣の難波田弾正忠広宗の「深大寺城(じんだいじじょう)」の付城(つけしろ)として、「烏山之森」に砦を築いたとされています*1

ちなみに烏山城(烏山砦)は、後北条氏の支配下に置かれたことでその役割を失い廃城され、現代の宅地開発によって遺跡ごと失われてしまっています。ウテナ本社付近にあったとされています。

深大寺城は、廃城後も跡地が保存されており、現在でも見ることができます。深大寺城が築城された時代は、戦国時代初期ということもあり銃がなく主な武器は弓矢と槍です。扇谷上杉氏の城は、空堀に敵を誘い込み槍で突く用に堀の幅が狭いのが特徴とされています。

…と、話が逸れてしまいましたね。

前述した通り、「烏山」という名前は鎌倉時代には既に存在しており、大昔すぎる為になぜ「烏山」と呼ばれるのかハッキリと分かっていないそうです。名前の由来は諸説あり、Wikipediaでは以下のようと書かれています。

烏の群生する森があったためか、烏色とされる黒土が山状に盛り上がった地であったことからと思われる。

昭和62年3月に世田谷区砧第3出張所が発行した「せたがやの寺町」によると下記のように書かれています。

この地がうっそうとした武蔵野の大森林だったころ、烏の大群が生息していたことから名付けられた説が有力です。

ハッキリと判明していませんが、いずれにしても「烏」が由来しているようですね。

千歳烏山は寺が多くて不吉だから説

うちの嫁が、近所のおばちゃんから聞いた話によると、千歳烏山には寺が多くて不吉な鳥として「烏」を連想させるからという説があるらしいです。

これは確実に違うと否定できます。

また今度書くかもしれませんが、烏山に寺が多くなったのは関東大震災以降の区画整理によるもので、その時点で既に「烏山」という地名は存在していたことから信憑性に乏しいです。

川が近くにあったから説(2016/10/16追記)

烏山の由来の仮説を書いている本をみつけました。

東京23区の地名の由来

東京23区の地名の由来

この本に書いていることを要約すると下記の通りです。

烏山は河原洲で川の洲が地名の由来。明治維新後には戦争がなくなったので、鶴や鴨などの渡り鳥の名前を地名につけ始めた。維新前には渡り鳥は忌み嫌われていたので地名には使われていなかった。

この本では河原の洲(かわらのす)が由来というのです。洲(す)というのは三角州のように川の中にある島や、砂や泥が堆積して現れた土地のことを言います。伝わりにくいと思ったので絵に描いてみました(余計に分かりにくくなったらスミマセン)。

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カラスの名前が付いている土地は有名どころでいくと、京都府の四条烏丸や栃木県の那須烏山市が思いつきます。現在の烏丸には川は流れていないのですが昭和50年代の地下鉄工事に伴う発掘調査で、烏丸綾小路に川が存在していた痕跡が確認されています。

ご存知かどうかわかりませんが、千歳烏山駅の下には水無川が通っています。名前の通り、明治の頃にはすでに水が流れておらず、現在はコンクリートの蓋をして暗渠となっています。

ひょっとすると、鎌倉時代以前の水無川は水が流れていて洲ができて、それを見た人々が「からす」と呼ぶようになったのかもしれません。名前の由来としては可能性が高そうですね。

「烏山」の漢字が当てられたのに関して、明治維新云々が書かれていますが、前述の通り明治維新よりはるか以前に「烏山」が成立しているので、維新後に渡り鳥の名前を地名に当てたというのは間違っています。

千歳烏山駅の「千歳」はどこから出てきた言葉なのか?

現在の千歳烏山駅周辺の場所は、幕末期には「烏山村」と呼ばれていました。

大正2年(1913年)、京王電気軌道(現・京王電鉄)によって作られた駅の名前は「烏山駅」でした。駅のあった地名である「烏山村」に由来します*2

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明治22年(1889年)4月1日の町村制の施行に伴い、以下の村が合併されました。

  • 烏山村
  • 給田村
  • 八幡山村
  • 粕谷村
  • 廻沢村
  • 船橋村
  • 上祖師ヶ谷村
  • 下祖師ヶ谷村

合併後の名前は「神奈川県北多摩郡千歳村」です。この時点では東京府に組み込まれていませんでした。明治26年(1893年)に神奈川県から東京府に移管されて「東京府北多摩郡千歳村」となります。

元々「烏山駅」と呼ばれていた駅は、昭和4年(1929年)に地名を取って「千歳烏山駅」と呼ばれるようになります。「千歳村」の大字「烏山」に駅があったことに由来します。大字とは市町村内を細分した行政上の単位の名称です。

昭和7年(1932年)に東京市の世田谷区に編入することとなり「千歳村」の名前は消えてしまいますが、駅名はそのまま残ることとなりました。

昔の千歳烏山には何があったのか?

古地図から千歳烏山には何があったか繙いていきましょう。

幕末期の烏山地区

東京都世田谷区教育委員会発行の「世田谷区旧村古地名集」にて、のちに世田谷区を形成する集落の全形を見ることができます。ピンクで印をつけているのが、烏山地区の前身でもある「烏山村」です。

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間宮士信(まみや ことのぶ)らによって纏めされた「新編武蔵風土記稿(しんぺん むさしふどきこう)」に書かれている烏山の「小名(こな)・字(あざ)」も合わせて掲載します。

小名・字とは、先ほどかいた通り市町村内を細分した行政上の単位の名称です。小名とは「小字(こあざ)」のことで、大字(おおあざ)の中に小字があります。烏山村には、下記のような小名・字が存在していました。

  • 水無シ
  • 北原
  • 松葉
  • 千駄山
  • 南原
  • 泉沢寺
  • 南水無シ

新編武蔵風土記稿で挙げられた小名・字とは若干異なりますが、昭和56年3月に発行された世田谷区民族調査団編集の「烏山 - 甲州街道間の宿の民俗」の付録の地図を見ると、どの位置がなんと呼ばれていたか分かりやすいと思います。

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明治10年頃の烏山地区

「烏山 – 甲州街道間の宿の民俗」の付録に明治10年千歳烏山駅周辺の家並図がついています。

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大正10年頃の烏山地区

明治10年から数十年遡った大正10年頃の家並図もついていました。明治10年頃にはまばらだった家が(おそらく財産分与等によって)増えています。烏山地区に住む人も増えています。

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面白い比較をしてみましょう。大正10年頃の家並図とGoogleマップを重ねて、旧甲州街道と烏山寺(白山寺)との位置を大体合わせてみました。

現在の地図とは、上手く重なりませんが、どの辺りにどんな人の家があったか確認することができます。

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まとめ

明治10年頃と大正10年頃の地図を見ていると気付くことがあります。現在の千歳烏山駅周辺には杉田姓、並木姓、宍戸姓が多いです。

先日、歩いている時に気付いたのですが、東にある小道を入ると、下図のビルは「SUGITA B.L.D.」と書かれています。隣には絵の描き方を教える画塾(絵画教室アトリエクロー)があるのですが、そちらの先生のお名前も杉田さんのようです。

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他にも気付く点があります。その画塾の前に2、3つお墓があります。街中でお墓が並んでいるのが珍しくて名前を憶えていたのですが、お墓には「並木家」と「宍戸家」と書かれていました。上記の地図を見てみると並木さんは明治から、宍戸さんは大正から、そのお名前を地図で確認することができます。

自由に引っ越しできる現代になっても先祖代々の土地で暮らす方は多く、千歳烏山駅付近には「杉田さん」、やや仙川よりの給田付近には「宍戸さん」の表札を見ることができます。

続きがあります。「千歳烏山駅周辺の昔の写真の場所を探して現在どうなっているか調べてみた - 新旧写真比べ - 酢ろぐ!」も合わせてご覧ください。

*1:「烏山 - 甲州街道間の宿の民俗」には高橋民部大輔氏高と書かれていましたが、ネットで調べている限りでは高橋「民部少輔」氏高と書かれていることが多い

*2:下図の写真は http://www.6bangai.com/roots/ より